2007/05/05

ダイアン・アーバスと小人・大男

ダイアンはもっと神話的なタイプに属する人びとを撮るようになった。小人や大男である。だが、
寓話の主人公のようなこうした人びとに惹かれる理由を説明したことはなかった。自分の芸術的な試みについて、
特に説明しようとはしなかったのだ。しかし、ダイアンのすぐれた作品は彼女が感じた魅力を端的に物語っている。
たとえばメキシコ人の小人のモラレスを、ダイアンは何年にもわたって繰り返し撮っており、彼の生活習慣や考え方まで知るようになった。
やがてダイアンは、上半身裸になったモラレスが帽子をかぶってベッドにうずくまるというポーズをつけているが、
この頃になると二人の親密な関係は誰の目にも明らかで、写真からはエロチックな雰囲気さえ感じられる。「写真を撮るのは、
相手を誘惑するのに似ている」と、ダイアンはジョン・ゴセージに言ったことがある。


体重495ポンド、身長が8フィートもある「ユダヤ人の大男」、エディ・カーメルの場合にも同じことが起こった。
ダイアンはエディを10年近くも撮りつづけたが、そのネガからプリントをつくったのは1970年になってからだった。
「それまでに撮ったのはただの絵だった」からである。初めてエディを撮ったのは、四十二丁目の保険会社の事務所であり、
彼はそこで投資信託のセールスマンをしていた。次に、通行人の頭上にそびえるような感じでタイムズ・
スクエアのゲームセンターを歩いているエディの姿を撮った。機嫌がよいとき、エディは詩をつくってダイアンに献げた -
「オデュッセウスを誘惑した海の精のカリュプソーみたいだった」とダイアンは語っている。「エディに一つか二つの単語を示すと、
たちどころに詩をつくってしまう」


ダイアンは彼の巨大さに圧倒されたが、彼が室内にひとりでいるところを撮るときには特に畏敬の念をおぼえた。
のちに学生にこう語っている。「横になっているときのエディは、ほんとうに感動的でした。まるで不思議の国のアリスのように見えるのです。
つまり、エディが長椅子をすっかりふさいでいる様子には特別な雰囲気があって、何と言ったらいいか-
 まるで山を前にしているようだったのです」


年とともに、ダイアンと大男のあいだにはある種の友情が育まれていった。そして、エディはこんな打明け話をしている。
すぐれた俳優になるという夢は捨てきれないが、テレビでもらえるのは怪物の役ばかりだ、と。(エディは『不死の頭』
という映画でフランケンシュタインの息子を演じ、男の腕を噛み切り、半裸の少女をテーブル越しに投げとばした。)あるとき、
エディはブロードウェイのショーの主役のオーディションを受けたと自慢した -『のっぽ物語』の背の高いバスケットボール選手の役である。
しかし、エディは背が高すぎて採用されなかった。ダイアンは『のっぽ物語』の原作、『ホームカミング・ゲーム』
を書いたのは自分の兄だと打ち明けたが、エディは特に感心したようでもなかった。


やがてエディは、ブロンクスの自宅にダイアンを招き、写真を撮ってもいいと言った。彼は、
普通の体格の両親とそこで暮らしていたのである。その当時、エディは骨の病気にむしばまれて死を免れない身だったが、
口癖のようにサーカスで働きたいともらしていた。マディソン・スクエア・ガーデンでリングリング・ブラザーズがサーカスの興行をしたとき、
エディは世界一のっぽのカウボーイの役で出演したことがあったのだ。


1962年から1970年にかけて、ダイアンはカーメル家の狭いアパートを何度も訪れ、
やっと自分の求めていたイメージをとらえることに成功した。大男が両親と向かいあっているところを撮ったもので、
ダイアンの作品の中でも最も印象的な写真の一点である。


あるとき、ダイアンは興奮した声で『ニューヨーカー』のジョン・ミッチェルに電話をかけた。「どの母親も、
妊娠しているとき悪夢に悩まされることをご存じ? 生まれてくる赤ちゃんが怪物だったらどうしようという? わたし、
エディを見上げているお母さんの顔を見てはっと思ったの。彼女はこう思っていたのよ。『ああ神様、あんまりです!』って」


(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋)