2007/05/11

ダイアン・アーバスが恐れていた評判

ダイアンが恐れていたのは、自分がただ「奇形者を撮った写真家」として知られるということだった。自分の動機が誤解されるのは、
たまらないことだった。他の写真家以上に覗き趣味があるわけではなかったし、「病的」でもなければ「異常」でもなかった。ただ、社会が
「倒錯」とか「不浄」というレッテルを貼ったものに魅せられた自分の気持ちを正直に表現しただけなのだ。


ダイアンに言わせれば、顔や境遇に興味をひかれた人たちの写真を撮りたかっただけなのである。その頃には、
1959年から書きためてきたノートがかなりの量に達していた。そこには、何百人もの人生の短い挿話-ロマンス、苦悩、災厄-が、
ほとんど判読しがたい文字で走り書きされていた。だが、名前がちゃんと書かれていないので、それが誰だかはわからない。それらの秘密は、
異常者とそうでない人びとが、撮影の過程で彼女を信頼して打ち明けてくれたものだからだ。ダイアンは彼らの話にいつも喜んで耳を傾けた。
彼らの話の内容ばかりでなく、それによってかきたてられる自分の反応にも強い興味をおぼえた。おたがいに言葉をかわし、
ダイアンがカメラのシャッターを押しはじめると、両者を隔てていた溝-人種、年齢、期待、さらには狂気という溝まで-が、
しばしのあいだ消滅してしまったからだ。


秘密を話し、分かちあうことで、ダイアンと被写体とは個人的に結びついたが、これこそがまさしく彼女の仕事の核だった。
何かを秘密にすることは、それを価値あるものにするひとつの方法でもあった。秘密が神秘性を深め、聖なるものへの信仰をうながした。
秘密が小人とユダヤの巨人の満たされぬ渇望をきわだたせ、両者を結びつけたのである。


想像力に富んだ写真家の例にもれず、ダイアンも写真というメディアの限界を感じた-したがって、
そこに物語や秘密を介在させないかぎり、彼女の映像は無意味だった。


(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋 P434-P435)