2007/07/09

堀江被告を嗤えない

お金は一つの真実を人間につきつける。私はアシスタントの給料を遅配したり、約束よりも安く払ったことは一度もない。「誠意は金で」
というが、生活費はくれない、”親分”に、人はなかなかついてはいけない。だから私は、堀江氏の言葉に頷いた部分があった。


が、やっぱり「お金がすべて」ではない。私はくだんのファンの方からの5千円を受け取ることはしなかった。かわりに「ありがとう。
でもこれは生活費に充ててください。あるいは本当に困っている方への募金にでも。もし一冊私の本を買っていただけたら幸せです」
と記した礼状を出した。


私は、その若者の手紙を何度も泣きながら読んだ。文面から察するに、彼は自信の生活がぎりぎりなせいで、
友人や地域と上手に人間関係がつくれず、悩んでいるようだった。そんな中で私に5千円ものお金を送ってくれたのは、彼が「孤独」
であるということなのだろう。かつての私もそうだった。それはなかなか人に理解されないから、つい「お金をくれない人とは会えない」
などと言ってしまい、また孤独になる。


お金があっても孤独なのは、堀江被告を見れば分かる。人の世にとって「お金じゃない」というのは嘘で、「お金がすべて」
というのも嘘だ。お金やたつきの問題をのりこえて、純粋な人間関係を求められないうちは、私たちも堀江被告を嗤えない。そんな気がする。


(『正論』 2007年5月号 「堀江被告を嗤えない」 さかもと未明(漫画家)」


補足:ここでいう堀江被告の一言とは、「人の心は金で買える」ということ。かつてさかもと未明は以下のように語っていた。
「男性は本当に女性を愛しているなら、お金を出すとか結婚して生活の面倒をみるとか、命を賭けるとか、
具体的に何か大変なものを差し出すべきだ」


この女性の主張は聞く価値はあるとは思うが、別面で見ればこの女性の考えだからこそ、
堀江被告については嗤えないという思いに至るのだろう。僕は無論堀江被告のことを嗤ったことは一度もない、ただ彼のことには興味がない。
(Amehare)