2008/05/06

「自由の新たな空間」より

しかし、経済不安以外に日々のマスーメディアによる情報も、問題を誤認させる危険を帯びているのではないか?自由の上にのしかかっているのは本当に現実の経済危機状況なのだろうか?あるいはむしろ、革新的な潜在力の集団的な受動化、意気喪失、方向感覚喪失、崩壊があり、そこに生じた社会的荒廃の諸結果から新たな“野生の資本主義”は好き勝手に利益を上げるにいたっているのではないか?第一、経済危機という言葉はこの十年来世界を、なによりもまず第三世界を脅かしている連鎖的なカタストロフの性格を示すには如何にも不充分である。また、経済状況のみに関わる諸現象にその用法を限るのは明らかに不当だ。数えきれぬほどの人々が飢餓の中に死に瀕し、数十億もの人々が年を追ってしだいに貧困と絶望の中に押し込められつつある現状を前に、ひとは穏やかにわれわれに説明してくれる。経済の問題です、この経済危機が終わらぬ限り状況の改善は期待できないでしょう!手のほどこしようもありません!まるで霰かホルテンス台風みたいに経済危機が天から降って来て大地を走り回っているかのような言いぐさだ!かの気象占師どもだけが――ときめく経済人どもだけが――この現状について語る言葉を持っているというわけだ。しかし実際、これほどに卑劣と馬鹿々々しさが共生している場所はない!というのも結局のところ、産業と経済の転換が ――それが世界規模のものであり、社会構成と生産手段の根底的な組み換えをはらんでいるとしても――これほどの泥沼状態をその償いとして要請する如何なる必然性があるというのか!いますぐにでも問題を考えるやり方を百八十度転倒する必要性があり、今すぐにでも再考し直さなければならぬということを改めてはっきりさせよう。政治こそが経済の上に立って全てを進行させているのだ。けっしてその逆ではない!現在の状況において、あらゆる細部で、政治こそが経済危機を作り出しているということを断定するのは成る程易しくはないにしても――というのも事実、例えば、経済的荒廃と生態系の厄災の間には、あるいは別の理念的オーダーだが、金融と石油市場の間には、誰もコントロールし得ないカタストロフィックな誘因、相互作用があるからだが――ともあれ政治が現在のひどく悪性の社会的結果の責任を免れるなどということはない。この経済危機からの出口は、あるいはお望みならこの暗黒の系譜からの出口は、政治と社会にこそあるのだ。そこから始めなければ人間は予測し難い内破に向けて進み続けることになろう。

(『自由の新たな空間―闘争機械 (ポストモダン叢書 (12)) (単行本)』フェリックス・ガタリ、トニ・ネグリ 丹生谷 貴志訳)