2008/02/12

国技館設立の目的

上記談話の中には、次のような注目すべき部分も入っている。

常設館の設立と同時に相撲の改革を行ふことにした。一体昔の力士は一種の侠気がが有って義の為には身命を抛(なげう)って盡くしたものだが、世道人心が退廃し、人情が段々と軽薄になったとともに力士も一種の芸人根性を出して漸く昔の俤を失うようになって来た。之れは一般識者の夙に憂えて居る所である。処で今回此の機会を幸いに大に力士の風紀を正し、併せて従来の慣例中新時代の今日に適しない事は之を改めることにした。茲(ここ)に其の一、二の例を挙げていふ。力士の養老方法を設くる事や優勝旗を出して力士を奨励する事などで、是等は確に相撲道に一大光明を与えたものであると思う。

国技館設立と合わせて、芸人根性になっている力士を叩き直し、諸制度を新時代に相応しいものにし、こうして相撲道の改革をしたと言っている。国技館設立を相撲道の改革の好機と捉えたのである。

ここで相撲道とは、土俵のルール、力士が取組みを行う際のルール、行司と勝負検査役が判定を下す際のルール、団体戦のルール、報酬のルールなど、プロスポーツとしての相撲に当然要求される諸ルールのほかに、行司や力士の服装や番付方法、相撲関係者や観客のマナーに関するルールなどから成るものとしてよい。

上記の二つの話から国技館設立の目的が何であったかを考えてみると、外国人が見に来ても恥ずかしくない立派な相撲場を作ることが第一の目的(主の目的)であり、相撲道の改革が第二の目的(従の目的)であったとすることができる。なお、相撲場の改革という表現を使えば、立派な相撲場を作ることは相撲場の改革だった。

(『相撲、国技となる』 大修館書店 風見明)

補足:「上記談話の中には・・・」、上記談話とは、「国技館開館前日発行の東京日日新聞明治四十二年六月二日に、「相撲と国技館」という見出しで、板垣伯爵の常設館設立の委員長としの立場としての談話記事」のこと。