2007/06/25

ティモシー・マクヴィー

写真を、現実の痕跡としてではなく、純粋に象徴とみなす行為は、視覚の矮小化である-


視覚的原理主義者、とでもいおうか。いうまでもないが、十年前、アメリカの湾岸戦争の写真にたいするふるまいは、
まさにこうした行為だった。乗り物や人家や橋をコンピューター・ゲームの標的のように破壊していく「スマートな」爆弾、
退却中に殲滅されるイラク軍、バグダッドのアミリヤ防空壕がアメリカの手で容赦なく爆撃されて、家族を失いすすり泣くイラクの女たち。


9月11日、こうしたイメージの波が記憶に環ってくるとともに思い出されるのは、幽霊のごとき存在、中西部生まれの国産テロリスト、
湾岸戦争上がりの退役兵だった男が、米軍攻撃によるイラクの子どもたちの死を引き合いにだしつつ、
自分が殺したオクラホマの子どもたちについて皮肉に「付帯的損害(コラレタル・ダメージ)」だと語ったこと、警察に尋問されて、
米軍の戦争捕虜マニュアルにのっとった答えを返したことである。アメリカでは、この幽霊、ティモシー・
マクヴィーが処刑されてから一年もたっていないことを、誰もあえて口にはしなかった。しかし彼の暴力行為が許しがたいばかりか、
そのニヒリズムが、9・11のニヒリズムと並行関係にあるのは間違いない。両者を関係づけることで、国内よりもむしろグローバルな、
政治行為の文脈が読みとれるだろう。あの時点では、こうして敵と味方のあいだの国境線はぼやけさせるのは、あまりに恐ろしかったのだ。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P38)


補足:ティモシー・マクヴィー

アメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティで発生し、168名の人命が失われたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯。
11の連邦法違反により有罪を宣告され、2001年6月11日、連邦刑務所内で死刑が執行された。

(Wikipedia "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%99%E3%82%A4">
ティモシー・マクベイ
より)



9・11の行為を象徴的に解釈すれば

9・11の行為を象徴的に解釈し、グローバル資本への攻撃とみなすなら、秘書や用務員、食堂職員、事務員、警備員、
消防士らが殺されたという事実に、どう折り合いをつければいいのか。これが「アメリカ」への攻撃であったなら、
どうしてあれほど異なる国籍の人びと、あれほど多くのアメリカ風でない名前が、犠牲者のなかにいたのだろうか。
この建物がグローバル経済の中枢だったとしたら、どうして小企業の社員や解雇された労働者になったのか。ニューヨークが、
西洋の文化的退廃と性の乱れの象徴だとしたら、どうしてあれほど多くのごく普通の友人たち、家族、子供たちがあとに残されたのか。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P37)


 



写真は神学的なテクノロジーだ

「写真は神学的なテクノロジーだ」とピーター・オズボーンはいっている。写真は指標記号であり、
物質世界の了解可能性を記す痕跡だからだ。この場合痕跡は、
テロリストが送った意図的なメッセージの多様な意味すらすり抜ける余剰となっている。原理主義的な意味ではなく「神学的」なのである。
原理主義は、バイブルであれコーランであれ、テクストに頼り、世界を意図をもった運命として解釈する。このような解釈は、
写真の物質的な痕跡を排除する。写真の意味は、大いなることばによるあらかじめの決定を乗り越えてしまう。
破壊のイメージのトラウマ的な強度はまさにここにある。まるで映画のように見えはするが、そのイメージは意図されずして真実であり、
否定しがたく物質であり現実である。そしてこの現実は、象徴的なメッセージに泥を塗る。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P37)



2007/06/21

資本主義的な帝国主義

資本主義的な帝国主義は、二つの権力論理、すなわち領土的な論理と資本主義的な論理との弁証法的関係のなかから生まれてくる。
この二つの論理は別々のもので、どちらかに還元することなどできないが、たがいに緊密に結び合わされており、
たがいに内的な関係を形作っていると考えることもできよう。しかしそこから生み出されてくる結果は、空間と時間によって大きく異なる。
どちらの論理も矛盾をはらんでいるが、どちらか一方が作り出した矛盾は他方によって押さえ込まれなくてはならない。
たとえば終わりなき資本蓄積が領土的論理の内部で定期的に危機を醸成するのは、それと並行して政治的・
軍事的な力の蓄積を行う必要があるからである。あるいは領土的論理のなかで政治支配者が変わった場合には、
資本の流れも同様に変わらなくてはならない。国家は自らの記憶と伝統にしたがってその業務を遂行し、独自の統治スタイルを編み出す。
こうして不均衡な地理的発展と地政的闘争、そしてさまざまに異なる帝国主義政治形態の基盤が作り出される。


(『ニュー・インペリアリズム』 デヴィッド・ハーヴェイ 本橋哲也訳 青木書店 P183)



フリッピング

アメリカ合衆国の住宅市場で「フリッピング」と言われるやり方がある。こわれかけた家をほとんどタダで買い、
少々うわべの修理を施して、法外な値段で売りに出す。そのさい売り手は、
家を手に入れるという夢を実現したい収入の低い家族のために住宅ローンをアレンジしてやる。その家族はローンが払えなくなるか、
ほぼ確実に襲ってくる重大な修理がまかえなくなって、家は売り手に戻る。これは完全に違法とは言えないが、その結果、
低収入家庭が犠牲となり、彼らの持っている貯蓄はすべて詐取されることになる。これこそ略奪による蓄積だ。こうした種類の(違法、合法)
行いは枚挙に暇がなく、資産はこのようにある階級によって恣意的にコントロールされているのである。


(『ニュー・インペリアリズム』 デヴィッド・ハーヴェイ 本橋哲也訳 青木書店)



2007/06/20

批判的判断を含む経験は、なしではいられない

アートという物体はなくてよいし、アート世界はなくてよいし、存在論的に指し示されるアーティストはなくてよい。しかし美的な経験 -
情動と感覚による認知- 、文化の形式のみならずわれわれ世界内存在の社会の形成にたいする批判的判断を含む経験は、なしではいられない。
しかし現在の政治的環境においては、グローバルな公共圏の文化空間はすべて、権力に領有されるものになっており、
文化的コントロールの諸制度によって設定されている以外の存在のありかたが不可能であるとすると、
この潜在力が実現されるチャンスはいちじるしく低い。


(「テロルを考える」 『グローバルな対抗文化?』 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房)



誰かが自分の作品はアートだといえば、それはアートだ

ドナルド・ジャッドのこのことばは名高い。「誰かが自分の作品はアートだといえば、それはアートだ」。
1966年に最初にいわれたときには、文化体制への順応を批判していたこのことばは、現在の状況では完全に中和され、無力になっている。


アートとはアーティストがすることだ -こうしてアーティストの存在論は、ただの同語反復と化し、アーティストの絶対的な権力は、
社会的無力に転換される。現代アートは、判断、趣味、重要性といった法にいっさいしたがわず、
アーティストの決断主義にのみ服しているからこそ「自由」であり、アーティストはといえば、スキャンダル、戯れ、退屈、ショックと、
なんでも与えることができる-社会的・認知的な効果をもたない存在様式であれば、、なんにでもなれる。「良い」アートですら、
この無味乾燥な環境では、卑小なものになるのを免れない。「政治的」アートですら脱政治化され、
たんに現代の数ある実践ジャンルのうちのひとつになる。どんなものにもなる権利はあるのだが、どれもどうでもよいものなのだ。


アート作品が認識論的に定義されるのではなく、「アーティスト」
という存在が存在論的に定義されるというこの困った転換が示しているのは、グローバルに商業化され、
自己完結して自己満足しているアート世界に抗議しようとするアートが、骨抜きにされているということだ。


(「テロルを考える」 『グローバルな対抗文化?』 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房)



それが美術館にあるから、それはアートなのだ

主語と述語を逆転させる弁証法を演じて名高いのは、便器を美術館に陳列してみせたデュシャンである。それが美術館にあるから、
それはアートなのだ。


(「テロルを考える」 『グローバルな対抗文化?』 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房)



文化的諸制度という保護の被いがとり去られれば

市場メカニズムに、人間の運命とその自然環境の唯一の支配者となることを許せば、いやそれどころか、
購買力の量と使途についてそれを許すだけでも、社会はいずれ破壊されてしまうことになるだろう。なぜなら、いわゆる「労働力」商品は、
たまたまこの特殊な商品の担い手となっている人間個々人にも影響を及ばさずには無理強いできないし、見境なく使ったり、
また使わないままにしておくことさえできないからである。つけ加えれば、人間の労働力を処理する場合、このシステムは、
労働力というレッテルの貼ってある肉体的、心理的、道徳的実在としての「人間」を処理することになるのである。


文化的諸制度という保護の被いがとり去られれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、やがては滅びてしまうであろう。人間は、悪徳、
堕落、犯罪、飢餓という激しい社会的混乱の犠牲となって死滅するだろう。自然は個々の元素に分解され、近隣、風景は汚され、河川は汚染され、
軍事的安全は脅かされ、食料、原料の生産力は破壊されるだろう。最後に、市場による購買力管理は企業を周期的に破産させることになるだろう。
なぜなら、貨幣の払底と過多は企業にとっては未開社会での洪水、干魃と同じくらいの災難であろうから。疑いもなく、労働、土地、
貨幣市場は市場経済にとって本源的なものなのである。しかし、もし社会の人間的・
自然的実体が企業の組織ともどもこの悪魔のひき臼から保護されることがなかったら、どのような社会も、
そのようなむき出しの擬制システムの影響には一時たりとも耐えることはできないであろう。


(『大転換』 カール・ポラニー 吉沢英成、野口建彦、長尾史郎、杉村芳美訳 東洋経済新報社 P97)


補足:新自由主義への批判に多く引用されているカール・ポラニー「大転換」の中でも、おそらく最も引用されている箇所。



2007/06/18

産業革命

産業革命は、かつて分離派信徒たちが心を燃え立たせた改革と同じ急進的で過激な革命のたんなる始まりであるにすぎなかった。
だが新しい教義はまったく唯物主義的であり、人間の諸問題は物財が無限に与えられさえすればすべて解決できると信ずるものであった。


その物語は繰り返し語られてきた。すなわち、市場の拡大、石炭と鉄の存在に加え綿工業に適した湿潤な気候、
十八世紀の新たな囲い込みにより土地を奪われた多数の人々、自由な諸制度の存在、機械の発明、
等々の原因が絡みあって産業革命を生じさせたのである、と。だが、明確になったことは、
そうした連鎖の中からどの一つの原因を取り出してみても、
あの突然で予期しない出来事の真の原因として特記するに足るものはないということである。


では、この革命そのものは一体どう定義すべきか、その根本的特質は何であったのか。それは、工場都市の勃興か、スラムの出現か、
児童の長時間労働か、特定部門の労働者の低賃金か、人口増加率の上昇か、それとも諸産業の集中か。われわれの見解では、
これらはすべて一つの根本的変化すなわち市場経済の確立に付随したものにすぎないのであり、またこの制度の本質は、
機械が商業社会に与えた衝撃を理解しなければ十分に把握することはできないのである。
機械がかの出来事をひき起こしたと主張するつもりはないが、次の点は強調しておかなければならない。すなわち、
精巧な機械設備がひとたび商業社会で生産に用いられるや、自己調整的市場の観念が必然的に姿を現わすということである。


(『大転換』 カール・ポラニー 吉沢英成、野口建彦、長尾史郎、杉村芳美訳 東洋経済新報社 P53)



2007/06/14

経済学・別の視点

人間は経済的刺激に対していつでもどこでも決まった方法で反応するとする考えは、
社会や歴史について我々が築き上げてきた知識からしても不自然である、とベルチのような非正統の経済学者は主張している。
市場は制度的文脈によってかたちを変えるのであって、市場の動きは、市場を取り巻く法制度、政治制度、血縁的つながり、社会習慣、
歴史的記憶といった広大な非市場領域との関係によって理解されるものである。ここで社会的記憶にかかわる研究のパイオニアだった、
フランスのモーリス・アルヴァックスの言葉を思い出すべきだろう。需給関係や生産費用に基づいた経済の価格機構に関する考え方を、
アルヴァックスは断固として拒絶した。アルヴァックスによれば、価格は記憶や歴史と密接な関係がある。我々が物品につける相対価値は、
(しばしば無意識的に)人間の幸福や繁栄、社会組織化の手段をめぐる何世紀にもおよぶ社会的交渉と抗争の産物であった。


「経済システムは(ホモエコノミクスといった)同質の欲望の地平によって作用せず、多元的な欲望によって繁栄し、
それぞれ多様なイメージや嗜好によって形成されることを認めるべきである。経済宇宙には、
それぞれの関心や行動様式を持つ個人が存在しており、経済的な機能分化の歴史的過程がある。それゆえ個々人は・・・・・・摩擦の主体である」
とベルチは指摘した。


以上のことが示唆するのは、差異ある歴史的文脈に基づいた領域横断的な方法こそが、
現代社会における経済的変化の過程を理解する鍵であるという点だ。そして、その変化は、
非市場セクターから市場セクターへの社会的再生産の領域の移行や、
市場と非市場の力の結合による社会的再生産の根幹の管理を含むものでもある。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P175)


補足:アルヴァックス(Maurice Halbwachs)、ベルチ(Lapo Berti)



自由市場をすべての問題の万能薬とする空虚なイデオロギー

市場の社会的深化は矛盾に満ちた結果を生じさせた。「自由競争」のイデオロギーが支配的になり、
企業は自由市場の名のもとで社会の再生産や管理といったものにより深く浸透する。その一方で、市場の社会的深化によって、
国家と企業の複合的な連携と結合が強まり、生や知にかかわる私的所有の領域は拡大し、それは排他的独占的な障壁で守られることになった。
こうしてみると、「民営化」や企業市場の権力の増大は、「選択の自由」の幅を広げるどころか、逆に狭めるものと考えられるだろう。
とするなら、経済理論と新自由主義による日々の実践は、ますます乖離してしまう。おかしなことに、理論と実践との間に、
生きた経験から生み出された乖離の存在がありながら、新自由主義理論の信奉者たちは自分たちへの批判を「ユートピアを語っている」
と切り捨て、新自由主義が世界で唯一の「現実」であると主張する。自由市場をすべての問題の万能薬とする空虚なイデオロギーは、政治的、
社会的、文化的自由にかかわる豊穣かつ複合的な事象を、単に「企業の成長の自由」という概念へと矮小化した。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P173)



多国籍企業・軍事支援民間企業

2004年3月31日、イラクのファルージャで、四人のアメリカ「民間人」が怒り狂う民衆によって殺害された。
その死体は橋から吊され、残虐ぶりが世界中のメディアによって報道された。アメリカ軍は「民間人」殺害の報復としてファルージャを爆撃し、直後の攻撃だけですくなくとも八百人の市民が殺されている。

イラク戦争でも特記すべきこの事件の元となった四人の「民間人」は、ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルタント社に雇用されていた。そのうち二人は、ごく最近にアメリカ陸軍と海兵隊の特殊部隊を除隊したばかりの元兵士だった。

ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルタント社は、軍関連の「特殊工作」を主な「営業」領域とする、(その世界では)著名な民間企業である。

また、たとえば日本を母港地とする米第七艦隊所属の潜水艦、コロラドの乗組員263人の半数以上は、米軍籍を有さない「民間人」の技術者や軍事支援民間企業の社員たちである。こういった「戦争の民営化」の実情は、これまで国際法の基礎的想定となっていた、「軍人/戦闘員」と「民間人/非戦闘員」の区別を、以前にも増して困難とさせる。
戦闘が行われている地域におけるカッコなしの民間人たちの安全を保障する、なんらかの国際上の合意が必要なのではないだろうか。

(中略)

多くの民間軍事企業は「国内安全保障」への貢献を広報するのだが、結局のところ多国籍企業の究極の関心は利潤計算表にある。最終的に、これら民間軍事企業は誰の安全を保障するというのだろうか。

(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P146)

補足:これら民間軍事企業の多くは多国籍企業である。例えば、ワッケンハット社、G4F社(ワッケンハット社と合併)、ACM社(ワッケンハット社の子会社)、ヴィネル・コーポレーション(ノースロップ・グラマン社の子会社)、ヴィクター・ボウト(著名な武器商人)、ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルタント社、ダインコープ社、MPRI社、サラディン・セキュリティ社、ケロッグ・ブラウン・ルート(KBR)社、エクゼクティブ・ソリューションズ等々

補足2:ペータ・W・シンガーは2003年に『企業戦士』を出版し、1991年の湾岸戦争で参戦したアメリカ兵の50人に1人から100人に1人は、民間企業からの派遣社員だったと指摘した。
2003年のイラク侵攻に際しては、その割合が10人に1人を超した。

自分の細胞は自分が所有権を主張できない

1990年、カリフォルニア州最高裁判所は、将来にわたる大きな影響を広範囲にあたえる一つの凡例を下した。
人は自身の体内にある遺伝子情報を所有しない、というものだった。


この判決は、カリフォルニア大学医療センターとそこで治療を受けたジョン・ムーアの間で争われた長い裁判の末に出されている。
ムーアは1970年代にその医療センターで白血病の治療を受けていたが、その際に医師は彼に特異な免疫機能があることを発見した。
ムーアに対して告知や承諾の確認もなく、医療チームは彼から細胞を採取し、そして白血病の治療薬の一つにするため細胞を増殖させた。
ムーアは医療センターが自分の細胞を「盗んだ」と裁判に損害賠償を訴えた。
新しい治療薬に用いられている遺伝子物質が自分の身体から摘出された以上、
その新治療法開発から得られる利益の一部を自分は受け取る権利があると、ムーアは主張した。裁判所は、
医療センターが同意なしに細胞を取りだした点に関しムーアの主張を認めた。しかし、
白血病にかかわる新治療法からの受益権をムーアに認めなかった。「連邦法は『人間の独自性』の産物であれば有機体であろうとも特許を認める。
しかし、自然発生的有機体については特許を認めていない」と裁判所は判決を下した。換言すれば、
研究室である人間の細胞を人工的に再生産した科学者はその細胞に対して所有権を主張できるが、
自分の身体が自然に生産した細胞についてその人間は所有権を主張できないということである。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P79-80)



サハリン残留韓国人への支援について

終戦時、サハリンには約40万人の日本人がいた。昭和21年に結ばれた「米ソ引き上げ協定」によって、日本人ついては、
引き上げが許され(24年までに約30万人が帰国)たが、ソ連にとって終戦と同時に「無国籍者」とされた、朝鮮半島出身者については、
ソ連が出国を認めなかったために、サハリンへの残留が余儀なくされた。


これについて「日本人だけが、さっさと帰って朝鮮半島出身者だけを見捨てた」という悪質なプロパガンダが流されたが、当時、
占領下にあった日本は、そうした決定に関与すらできなかったのである。先にも書いたが、彼らがサハリンに留め置かれたのは、
ソ連が国交のない韓国への出国に難色を示していたからだ。背景には、北朝鮮への配慮があったという。2005年に、
韓国政府が公開した外交文書によれば、1974年にサハリンから日本経由で韓国へ帰国しようとしていた残留韓国人約200人が、
やはり北朝鮮に配慮したと思われるソ連の拒否によって出国が認められなかったケースが明らかになっている。


各国政府が無関心を決め込むなか、当事者の一人で、昭和33年に日本に帰国していた故・朴魯学氏・堀江和子さん夫妻ら、
日本にいた民間人の力によって、一時帰国、永住帰国への道が開かれたことも既に述べた通りだ。そのままなら「美談」に終わるはずの話が、
政治問題・外交問題になってしまったのは、50年12月、残留韓国人4人を原告にして東京地裁に提訴された「サハリン残留者帰還請求訴訟」
がきっかけである。18人の大弁護団の中心的な立場にいたのは、後に「従軍慰安婦」訴訟でも”活躍”した人物だった。


日本政府の見解は一貫して、「法的責任はない」というものだったが、やがて「人道的支援」を行うことに追い込まれる。
そしてこの問題はやがて、人道的支援から、「戦後補償」へとすり替えられて行くのだ。


日本政府に法的責任がない、というのはまったく正しい。昭和40(1965)年の日韓条約で、「解決済み」の問題であり、
先の韓国の外交文書公開では、韓国側が個人補償を行う義務を負っていることも明らかになっている。


しかも”そもそも論”で言えば、戦前、戦時中に朝鮮半島からサハリンへ渡った人たちの多くは、外地手当などによる「高給」
に魅力を感じて企業の「募集」に応じて、自分の意思で行った人たちである。つまり、日本政府に無理矢理連れて行かれたわけではない。
先の新井佐知子氏は「私たちが帰国を支援した人たちも、ほとんどが「募集」でサハリンへ渡った人たちでした。
(1944年から朝鮮半島で実施された)正式な徴用令状で行った人は数百人にも満たないでしょう。当時は『強制連行』
なんて言葉すら無かったのです」と断じている。


実際、安山の『故郷の村』に住んでいる住民(一世)に聞いてみると、多くの人は「募集で行った」と答えている。
帰国運動を行った朴魯学氏(故人)も、昭和18年に樺太人造石油会社の募集に応じて、サハリンへ渡った一人だ。朴氏は、
サハリンで貰った給料で、韓国の家族に、家一軒が建つほどの仕送りが出来たという。妻の堀江和子さんによれば、
何が何でも日本政府の責任を主張する仲間(残留韓国人)に対して、「強制連行などではなかったじゃないか」と、
朴氏が咎めることがたびたびあった。


韓国政府や残留韓国人の団体は、こうした見解を認めようとはしない。「たとえ募集や官斡旋で行ったとしても、日本支配下のことであり、
事実上の強制であった」(韓国政府関係者)というのである。そして理論上、苦しくなると、「人道的支援」を持ち出すのだ。


だが、新井氏は、「私たちが世話をした人の中には、募集でサハリンに渡り、お金を稼いで、いったん戻ってきた後、
ばくちでスッテンテンになって、もう一度、自らサハリンへ行った人もいました。もちろん、強制などではありませんでした」と反論している。


結局、日本は外向的摩擦を怖れるあまり、求められるままに、「理由なき支援」を続けてきたのだ。もちろん、
国際社会で責任ある立場として、日本が「人道的支援」を行うのはいい。だが、70億円は、明らかにその範囲を超えている。


(月刊誌『正論』 2007年6月号 「サハリン 残留韓国人への追加支援で密かに盛り込まれた「3億円」」)


補足:「故郷の村」とは、韓国・安山市に2000年2月に完成した、サハリンからの帰国者支援のために建設したアパート群(八棟)。
建設費27億円は日本が出している)

70億円とは、一時帰国支援金・住宅施設建設費(安山アパート、仁川療養所など)・サハリン残留者支援金・永住帰国者支援金などの、
現在までに日本政府が支援した費用総額。



2007/06/11

夏目漱石 『硝子戸の中』 「八」

 不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分のいつか一度到着しなければならない死という境地について常に考えている。
そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達し得る最上至高の状態だと思う事もある。


「死は生よりも尊とい」

こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。

 しかし現在の私は今まのあたりに生きている。私の父母、私の祖父母、私の曾祖父母、それから順次に溯ぼって、百年、二百年、
乃至千年万年の間に馴致された習慣を、私一代で解脱する事ができないので、私は依然としてこの生に執着しているのである。

 だから私の他に与える助言(じょごん)はどうしてもこの生の許す範囲内においてしなければすまないように思う。
どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人(いちにん)として他の人類の一人に向わなければならないと思う。
すでに生の中に活動する自分を認め、またその生の中に呼吸する他人を認める以上は、
互いの根本義はいかに苦しくてもいかに醜くてもこの生の上に置かれたものと解釈するのが当り前であるから。

「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」

 こうした言葉は、どんなに情なく世を観ずる人の口からも聞き得ないだろう。医者などは安らかな眠に赴むこうとする病人に、
わざと注射の針を立てて、患者の苦痛を一刻でも延ばす工夫を凝らしている。こんな拷問に近い所作が、
人間の徳義として許されているのを見ても、いかに根強く我々が生の一字に執着しているかが解る。
私はついにその人に死をすすめる事ができなかった。

 その人はとても回復の見込みのつかないほど深く自分の胸を傷けられていた。
同時にその傷が普通の人の経験にないような美くしい思い出の種となってその人の面を輝やかしていた。

 彼女はその美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱き締めていたがった。不幸にして、
その美くしいものはとりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷そのものであった。二つの物は紙の裏表のごとくとうてい引き離せないのである。


 私は彼女に向って、すべてを癒す「時」の流れに従って下れと云った。
彼女はもしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥げて行くだろうと嘆いた。

 公平な「時」は大事な宝物を彼女の手から奪う代りに、その傷口もしだいに療治してくれるのである。
烈しい生の歓喜を夢のように暈してしまうと同時に、今の歓喜に伴なう生々しい苦痛も取り除ける手段を怠たらないのである。

 私は深い恋愛に根ざしている熱烈な記憶を取り上げても、彼女の創口(きずぐち)から滴る血潮を「時」に拭わしめようとした。
いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当だったからである。

 かくして常に生よりも死を尊いと信じている私の希望と助言は、ついにこの不愉快に充ちた生というものを超越する事ができなかった。
しかも私にはそれが実行上における自分を、凡庸な自然主義者として証拠立てたように見えてならなかった。
私は今でも半信半疑の眼でじっと自分の心を眺めている。


(『硝子戸の中』 夏目漱石 夏目漱石全集10 ちくま文庫 筑摩書房)



解放軍

自由。もっとも光輝に満ち、もっとも危険で、そして最も陳腐な言葉。近代以降の侵略軍において、解放軍でないものは存在しただろうか?


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス=スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P5)



アイヌと日本の分業化

アイヌ社会を「狩猟採集」社会の原型として再構築したのは、まさに初期近代の発展過程にほかならない。
交易の増加が日本とアイヌとのあいだによりはっきりと仕切られた分業を促進した。すなわち、アイヌの生活圏は漁撈と狩猟に特化し、
日本は農業と金属加工に特化した、そのような分業である。この意味で、アイヌ農業の衰退は、
徳川期日本における農業技術の発展と同じひとつの過程をなしていた。すなわち、西日本の綿作地の繁栄は、
アイヌ経済のモロコシや野菜作物の衰退と平行して進んだのだ。経済発展、交易、
いっそう複雑化する分業が数多くの近代社会のうちのある部分に脱産業化を生み出したのとまったくおなじように、
それらはアイヌ社会の脱農業化を促した。もちろん、この過程を経たからこそ、明治国家が「日本」と農業とを同一とする視座で、(未農業化の)
アイヌに農業を「伝える」ことによりアイヌを旧土人化するのが可能だった。


(『辺境から眺める』 テッサ・モーリス=鈴木 大川正彦訳 みすず書房 P61)



2007/06/10

新自由主義における技術革新

新自由主義理論は技術革新を、新しい製品、新しい生産方法、新しい組織形態の追求に駆りたてる競争の強制力にゆだねる。しかし、
この推進力は企業家の常識にあまりに深く埋め込まれているために、物神崇拝の対象さえなっている。
どんな問題にも技術的解決策があるというわけだ。企業ばかりでなく国家機構(とりわけ軍隊)の中にもこの考えが定着するにつれて、
技術革新の強固な自立化傾向が生じ、それは安定性を損ないうるだけでなく、場合によっては逆効果にさえなりかねない。
技術革新を専門とする部門がこれまで市場になかった新製品とその新しい使い方を編み出すような場合(たとえば新薬が生産され、
そのために新しい病気もでっち上げられる)、技術の発展が暴走する可能性がある。そのうえ、有能な新参者が技術革新を動員して、
支配的な社会的諸関係や諸制度を掘りくずすこともある。彼らはその活動を通じて、
自分たちの金儲けに有利になるよう常識さえもつくりかえるかもしれない。このように、技術の発展力学、不安定性、社会的連帯の解体、
環境悪化、脱工業化、時間・空間関係の急激な変化、投機的バブルなどといったことと、
危機を醸成する資本主義内部の一般的傾向とのあいだには、密接なつながりがある。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P99-100)



2007/06/09

北方領土のこと

二十世紀が終わろうとしている1997年、日本政府とロシア政府はようやく重い腰をあげ、アジア・
太平洋戦争以来決着がつかないままになっていた懸案事項の解決に乗り出した。すなわち、和平条約の調印と両国国境の確定に関わる作業である。
両国の交渉で焦点となる事項のうちもっとも重要なものは、いわゆる「北方領土」-国境線のロシア側では、南クリル(千島)として知られる、
ハボマイ(歯舞)、シコタン(色丹)、クナシリ(国後)、エトロフ(択捉)-の統治管轄という問題である。これまで、
この問題をめぐる論争は、国家間の権力政治という古典的な言語を用いておこなわれてきた。ロシア政府の視座からみると、
クリル諸島を自国領だと請求する根拠は、これが十七世紀にロシアの探検隊によって「発見」されたという事実に求められる。他方、
日本の観点からみると、この列島は北海道の地理的延長として定義される。それゆえ、日本政府は「北方領土」を「我が国固有の領土」
の重要部分であるとみなし、これを領土として認知するようにと要求するのである。


現在にいたるまで、交渉の表舞台で繰り広げられてきたのは、首脳外交、つまり御歴々が演ずるドラマであった。しかし、
この舞台の袖から非公式の声がかすかに聞こえはじめている。クリル諸島の現在の居住民は、
ロシア中央政府から長年にわたって受けてきた侮蔑的扱いに憤慨の意を表明し、独自の計画にもとづき、島を日本に貸与すると提案した。一方、
参議院議員(当時)萱野茂(かやのしげる)をはじめとする著名なアイヌの活動家たちは、ロシア人や日本人が「発見」するはるか昔から、
したがって日本政府がロシアに隣接する日本領土として北海道を創出する以前から、すでにこの列島にはアイヌ住民が居住していたのだ、
と政府首脳にむけて主張した。萱野は、アイヌにはこの列島の将来にかかわる交渉に参加する権利があると主張する。しかもこれは同時に、
国境線の北側の先住ニヴフ共同体の指導層からも、正当な主張だと認知されている。ニヴフ共同体の人びとからすれば、
クリル諸島及び近隣のサハリン(樺太)島とは、幾世紀にもわたり、アイヌ共同体とともに形成してきた相互活動領域にほかならないのである。


(『辺境から眺める』 テッサ・モーリス=鈴木 大川正彦訳 みすず書房 P1-2)


補足:北海道は、英国人にとっての北アメリカ同様に先住民から土地を搾取することで領土化された、という明白な事実を時として忘れる。
萱野茂氏は2006年5月6日に79歳の生涯を閉じた。
アイヌの英雄叙事詩ユーカラを紹介するなどアイヌ文化の振興に多くの功績を残された方でもある。



2007/06/07

新自由主義国家に関する一般理論内部のあいまい点や対立点

第一に、独占企業をどのように解釈するのかという問題がある。競争はしばしば独占ないし寡占をもたらす。というのも、
より強い企業がより弱い企業を駆逐するからである。 (中略) いわゆる「自然独占」の場合はそれよりも難しい。電力供給網、ガス・
パイプライン、上下水道システム、さらにはワシントン-ボストン間の鉄道路線などが、それぞれ複数で競合しあっても無意味だろう。
こうした分野では、供給・アクセス・価格設定上の国家規制は不可避である。 (中略)


第二の大きな争点は「市場の失敗」に関する問題である。市場の失敗が起きるのは、
個人や企業が自分たちの責任を市場の外部にはじき出し-専門用語で言えば「外部化」し-、
自分たちにかかってくるコストのすべてを払おうとはしない場合である。この古典的事例が環境汚染である。そのさい、
個人や企業は廃棄物処理費用を免れようと、環境のことなど一顧だにせずに有害廃棄物を投棄する。 (中略)
 新自由主義者たちがこうした問題の存在を認めると、ある者は一定の譲歩をして限定的な国家介入に賛成するが、他の者たちは、
何か治療をしようとすればほとんど確実に病より悪い結果をもたらせるのだから何もしない方が良いと主張する。
何らかの介入が行われるべきとしたら、それは市場メカニズム(たとえば、課税、インセンティブ、汚染物質排出権の市場取引など)
を通じてなされるべきということに、大方の新自由主義者は一致する。「競争の失敗」に対しても同じようなアプローチが選択される。契約関係、
二次契約関係が増えるにつれて、取引コストも増大する。 (中略)


通常、市場の活動主体はみな同一の情報にアクセスできると想定されている。
自己利益にもとづいて合理的な経済的決定を下す諸個人の能力を妨げるような、権力や情報の非対称は存在しないということが想定されている。
だが、実際にはこのような条件はめったにないし、むしろ、情報や権力の非対称性にもとづくいくつかの重要な結果が生じている。
他人よりも情報や権力を多く持っている行為主体にとっては、その利点を利用して、いっそう大きな情報と権力を獲得することさえ容易にできる。
知的所有権(特許権)の確立は、さらなる「レントの追求」を促す。特許権をもつ者はその独占権力を用いて、独占価格を設定するか、
非常に高額の代金が支払われないかぎり技術移転を妨害しようとする。それゆえ国家が対抗処置をとらないかぎり、
非対称な権力関係は減少するどころか、時とともにますます増大する傾向にある。完全な情報や対等な競争環境といった新自由主義の想定は、
無邪気なユートピアであるが、富の集中とその結果としての階級権力の回復を意図的にごまかしているかのどちらかである。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P98-99)


レントに追求:「レント」とは何らかの独占状態から生じる特別の利益のこと、技術の独占から生まれるのが技術使用料、
土地の独占から生まれるのが地代である。「レントの追求」とは、そうした独占事業を維持・拡大することで、レント収入を追求することをいう。


補足:現在において著しいのは、医療関係、たとえばエイズ治療薬は特許の集合である為、
国家が介入しない限りアフリカなどの貧民者が多数を占めるアフリカ諸国では高額のため利用できない状態。もしくは、
最近のバイオテクノロジーにおける状況。医療保険制度の中で製薬会社への支払い割合はおそらくかなり高い。特許・著作権(遺伝子コード)
などの問題は、恐ろしく専門的ではあるが、直接に我々の生活の中に入りこんでいる問題でもあると、僕は認識している(amehare)



新自由主義派の理論家たちは民主主義に対して根深い不信を抱いている

新自由主義派の理論家たちは民主主義に対して根深い不信を抱いている。多数決原理による統治は、
個人の諸権利や憲法で保障された自由にとって潜在的脅威だとみなされている。民主主義はぜいたく品とみなされ、
政治的安定を保障する強力な中産階級の存在と結びついた適度な豊かさのもとでのみ実行できるとされている。したがって、新自由主義者は、
専門家やエリートによる統治を支持する傾向にある。民主主義や議会による意思決定よりも、
行政命令や司法判断による統治の方がずっと好ましい。新自由主義者は中央銀行などの主要機関を民主的な圧力を守ろうとする。
法の支配や立憲体制の厳格な解釈を軸にすえる新自由主義理論の前提では、紛争や対立は法廷で調停すべしということになる。
いかなる問題であれ、その解決策は、法制度を通じて個々人によって追求されなければならい。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P96-97)



理論における新自由主義国家

新自由主義国家は理論的には、強固な私的所有権や法の支配、自由に機能する市場や自由貿易の諸制度を重視している。これらは、
個人の自由を保障するのに必要不可欠なものとみなされている社会的諸制度である。その法的枠組みは、
市場における法的人格同士の自由な交渉による契約上の義務にもとづいている。行動・表現・
選択の自由という個人の権利や契約の不可侵は保護されなければならない。したがって国家は、全力をあげてこれらの自由を守るために、
それが独占している暴力装置を用いなければならない。ひいては、ビジネス集団や企業(法的には個人とみなされている)
がこうした自由市場と自由貿易の制度的枠内で活動する自由も、根本的に善だとみなされている。民間企業や企業家のイニシアチブは、
技術革新を引き起こし富を創出する上で決定的なものだとみなされている。技術革新を保護するために、
たとえば特許制度を通じて知的所有権が保護される。生産性が持続的に向上すれば、高い生活水準がすべての人にもたらせることになっている。
新自由主義理論においては、「上げ潮は船をみな持ち上げる」とか、(上層から下層へと富が)「したたり落ちる(トリクルダウン)」
と想定されており、一国内であろうと世界規模であろうと、
自由市場と自由貿易を通じてこそ最も確実に貧困を根絶することができるのだと考えられている。


新自由主義がとりわけ熱心に追求しているのは、さまざまな資産を私有化することである。明確な私的所有権が存在しないこと-
多くの発展途上国ではよく見られることだ-は、経済発展と人間の福祉の改善とに対する制度的障壁の中で最大のものの一つだとみなされている。
土地の囲い込みと私的所有権の確立は、いわゆる「共有地の悲劇」(土地や水といった共有財産を個々人が無責任に過剰利用する傾向)
を避ける最良の方策だとされている。かつては国家の手で運営ないし規制されていた諸部門は、私的所有の圏域に引き渡され、
規制は緩和されなければならない(あらゆる国家干渉からの自由)。競争-個人間、企業間の競争、また何らかの地域的単位(都市、地域、国、
地域集団)間の競争-は最大の美徳だと考えられている。もちろん、市場競争の基本ルールはきっちりと遵守されなければならない。
そうしたルールが明確に定められていないとか、所有権があいまいな場合には、国家はその権力を行使し、市場システムを押しつけるか、
このシステムそのものをつくり出さなければならない(たとえば汚染物質排出権の市場取引)。競争と結びついた民営化と規制緩和は、
官僚的形式主義を排し、効率と生産性を引き上げ、品質を改善し、負担を軽減する-安価な商品・サービスによって直接的に、
税負担の軽減によって間接的に-とされている。新自由主義国家は、グローバル市場の中で他国と並ぶ一個の単位として、
競争上の地位改善につながるような国内再編と新たな社会諸制度を継続的に追求しなければならない。


市場での人格的・個人的自由が保障される一方で、各人には自分自身の行為と福利に対する責任があるとみなされている。この原則は、
福祉・教育・医療・年金といった分野まで拡張される(チリやスロバキアではすでに社会保障は民営化されており、
アメリカでも同じことをめざすいくつかの提案がある)。

各人の成功や失敗は、何らかの社会システム上の問題(たとえば資本主義に内在する階級的排除)のせいであるよりも、
むしろ企業家的美徳の欠如とか個人的失敗(たとえば教育による人的資本への十分な投資を怠ったなど)という観点から解釈される。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P94-96)


 



2007/06/02

レーガンとサッチャーの成功

レーガンとサッチャーの成功はさまざまな形で評価することができるだろう。
だが次のことを強調しておくことは非常に有意義であるように思われる。すなわち、彼らが、これまで少数派だった政治的・イデオロギー的・
知的立場を採用し、それを一気に主流の地位に押し上げたことである。


彼らがその形成に助力した諸勢力の同盟関係と彼らが率いた多数派勢力とは、
次世代の政治的リーダーたちが取り除きたくでも取り除けない遺産となった。レーガンとサッチャーの成功を最もよく証明するのは、おそらく、
クリントンやブレアにとって政治的に立ち回る余地が非常にかぎられていて、
たとえ自分のよりましな本意に反しても階級権力の回復プロセスを維持する範囲内にとどまらざるをえない状況下に置かれたことであろう。


そして、ひとたび新自由主義が英語圏の世界に深く根づくと、
資本主義が全体として国際的に機能しているその仕方に新自由主義がかなり適合的であるという事実を否定することが難しくなった。このことは、
われわれが後で見るように、英米両国の影響力と権力が新自由主義をいたるところで押しつけたにすぎないと言っているわけではない。
この二つのケーススタディが十分に示しているように、国内状況やその後の新自由主義的転換の性質は、
イギリスとアメリカではかなり異なっており、この点を敷衍して考えるなら、どこにおいても、
外部の影響や強制のみならず国内の諸勢力もまた決定的な役割を果たしているという予想が成り立つだろう。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P88-89)



1990年代アメリカの新自由主義的現状

労働過程におけるフレキシブルな専門化と勤務のフレックスタイム制を求める高尚な要求は、新自由主義のレトリックの一要素となった。
それは個々の労働者にとって魅力的になりえたし、とりわけ、
強力な組合がしばしば恩恵を独占している構造から排除されていた者たちにとってはそうであった。


労働市場におけるより大きな自由や行動の自由は、資本家にとっても労働者にとっても利益になると大いに宣伝された。ここでもまた、
新自由主義的価値観がほとんどの労働者の「常識」にたやすく組み込まれた。
活動的な潜在力を有したこのフレキシブル化がどのようにして高搾取のフレキシブルな蓄積のシステムに転じたのか
(労働配分における時間と空間のフレキシビリティの増大から得られた利益のすべては、資本に回収された)、これは、
なぜ1990年代のほんの短い期間を除いて実質賃金が停滞あるいは低下し、各種の付加給付が減少したのかを説明する鍵でもある。


新自由主義の理論は、失業は常に自発的なものであると都合よく考えている。労働には「最低賃金」なるものが存在し、
それを下回ると労働者は働かないことを自ら選好する。失業は労働の最低賃金が高すぎるから生じるのだ。その最低賃金は、
部分的に福祉給付によって設定されるのだから(そしてキャデラックを乗り回す「福祉の女王」というお話があふれていた)、
クリントンによって遂行された、「われわれのよく知る福祉」
に対する新自由主義改革が失業を減らす決定的な一歩になると考えるのは理にかなっているというわけだった。


「われわれのよく知る福祉」:クリントンは1992年の大統領選公約で、フードスタンプや母子家庭への公的扶助(AFDC)
に代表される既存の福祉を終わらせると公約し、それが、公的扶助受給者を減らして就労を促すことを目的とした1996年の福祉改革
(福祉切り捨て)につながった。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P77-78)



2007/06/01

新自由主義とポストモダニズムの親和性

1970年代初頭には、個人的自由や社会的公正を追求する人々は、
多くの者が共通する敵とみなすものと対峙することで共通の大儀をつくり上げることができた。
介入主義的国家と同盟する強力な企業集団がこの世界を支配しており、個人に対する抑圧と社会的不公正を生み出しているとみなされた。
ベトナム戦争は不満の爆発をもたらす最もはっきりとした触媒であったが、企業と国家による環境破壊、愚劣な消費主義の推進、
個々の社会問題に対する軽視、人々の多様性に対する十分な配慮が欠如していること、個々人の可能性や個人の自由な行動が国家の規制や「伝統」
なるものによって厳しく制限されていること、こうしたこともまた広範な憤りを生んだ。


公民権が争点になり、セクシュアリティや「性と生殖に関する諸権利」も重要な役割を果たした。
68年の運動に携わったほとんどすべての者にとって、社会の隅々に侵入してくる国家は敵であり、変革すべき対象であった。
そして新自由主義者もその点には容易に同意することができたろう。


しかし、資本主義企業や、ビジネス界、市場システムもまた、是正されるべき主要敵とみなされていたし、
場合によっては革命的変革の対象でさえあった。それゆえ、68年の運動は資本家階級の権力にとっても脅威であった。そこで、
個人的自由の理想を乗っ取り、それを国家の介入主義や規制政策への対立物に転じることで、資本家階級は自分たちの地位を守り、
ひいてはそれを回復することさえできると考えた。新自由主義はこうしたイデオロギー的任務を果たす上で格好のものだった。だがそのためには、
消費者の選択の自由-特定の生産物に対してだけではなく、ライフスタイルや表現様式、多種多様な文化実践に対するそれ-
を強調する実際的な戦略によるバックアップが必要であった。


新自由主義化にとって政治的にも経済的にも必要だったのは、
差異化された消費主義と個人的リバタリアニズムの新自由主義的ポピュリズム文化を市場ベースで構築することであった。このことはまさに、
新自由主義が、長年舞台の袖に潜んでいて今日まさに文化の領域でも知の領域でも支配的潮流として全面開花している「ポストモダニズム」
と呼ばれる文化的推進力と少なからぬ親和性があることをはっきりと示している。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P63-64)



個人の自由という価値観と社会的公正という価値観

個人的自由を神聖視する政治運動はいずれも、新自由主義の囲いに取り込まれやすい。たとえば1968年の世界的規模での政治的反乱は、
より大きな個人的自由を求める願望に強く触発されていた。これはとくに学生たちにあてはまった。たとえば、
1960年代のカリフォルニア大学バークレー校の「表現の自由」闘争に鼓舞された学生たち、パリやベルリン、
バンコクで街頭に繰り出した学生たち、1968年のオリンピック直前のメキシコシティで情け容赦なく射殺されたような学生たちである。
彼らが求めたのは、親や学校、企業、官僚制、国家による束縛からの自由であった。
だが1968年の運動では社会的公正もまた主要な政治目標であった。


しかしながら、個人の自由という価値観と社会的公正という価値観とは、必ずしも両立しない。
社会的公正の追求は社会的連帯を前提とする。そしてそれは、何らかのより全般的な闘争、
たとえば社会的平等や環境的公正を求める闘争のためには、個人の欲求やニーズや願望を二の次にする覚悟を前提とする、
社会的公正と個人的自由という二つの目標は68年の運動の中では容易に融合しなかった。その緊張関係は、伝統的な左翼
(社会的連帯を支持する組織労働者や政党)と個人的自由を要求する学生運動とのあいだの緊張をはらんだ関係に最もよく表されている。
フランスで1968年の動乱の最中に疑念と敵意がこの二つの派(すなわち共産党と学生運動)を分裂させたのはその典型である。
こうした違いを乗り越えることができないわけではないが、両者の間に楔が打ち込まれる可能性があることを理解するのは難しくはない。
個人の自由を根源的なものとして重視する新自由主義のレトリックは、国家権力の獲得による社会的公正を追求する社会勢力の隊列の中から、
リバタリアニズム(自由至上主義)、アイデンティティ・ポリティクス、多文化主義、さらにはナルシスト的な消費主義を分裂させる力をもつ。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P61-62)



文化的な偏見が存在する場合には真の問題を大きく見誤らせ、不明瞭にし、偽装されることがある

一般にこの同意の根拠となるのが、アントニオ・グラムシのいう「常識(コモンセンス)」(それは「共通に持たれる感覚」と定義される)
である。常識は、地域的ないし国民的な伝統にしばしば深く根ざした文化的社会化の長期的な慣行の中から形成される。それは、
その時々の問題に批判的に関与することで形成される「良識(グッドセンス)」とは異なる。それゆえ常識は、
文化的な偏見が存在する場合には真の問題を大きく見誤らせ、不明瞭にし、偽装されることがある。


神や国への信仰、あるいは女性の社会的地位についての考え方といった文化的・伝統的価値観や、共産主義者・移民・異邦人・「他者」
への怖れといったものが、他の現実を隠蔽するために動員される。政治的スローガンは曖昧なレトリックを凝らすことで、
特定の戦略を覆い隠すことができる。「自由」という言葉は、アメリカ人の常識的理解の中であまりにも広く共鳴を受けるので、それは
「大衆への扉を開くためのエリートたちの押しボタン」になってしまい、ほとんどあらゆるものを正当化する。


今から見るとこのようにしてブッシュはイラク戦争を正当化することができたのである。だからグラムシは、政治問題は
「文化的なものに偽装される」と「解決不能」になると結論づけた。政治的同意の形成についての理解を深めるために、
われわれはその文化的外皮の内部から政治的意味を抽出しなければならない。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P60-61)



新自由主義とは

新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、
自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、
と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。たとえば国家は、
通貨の品質と信頼性を守らなければならない。また国家は、私的所有権を保護し、市場の適正な動きを、
必要とあらば実力を用いてでも保障するために、軍事的、防衛的、警察的、法的な仕組みや機能をつくりあげなければならない。
さらに市場が存在しない場合には(たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、
市場そのものを創出しなければならない-必要とあらば国家の行為によってでも。だが国家はこうした任務以上のことをしてはならない。
市場への国家の介入は、いったん市場が創り出されれば、最低限に保たれなければならない。なぜなら、この理論によれば、
国家は市場の送るシグナル(価格)を事前に予測しうるほどの情報を得ることはできないからであり、また強力な利益集団が、
とりわけ民主主義のもとでは、自分たちの利益のために国家介入を歪め偏向させるのは避けられないからである。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P10-11)